長崎街道の宿場町と、旅人の湯
江戸時代の嬉野は長崎街道の宿場町「嬉野宿」でした。
街道を行き来する旅人は、嬉野で足を止め、温泉で旅の疲れをいやしたといわれています。
嬉野市の解説によると、当時の嬉野には、いまの倍以上の温泉宿があったとされています。
温泉街の瑞光寺は、長崎奉行や大名が泊まる本陣として使われました。
名物の温泉湯どうふも、温泉のお湯で豆腐を煮るやり方が江戸時代に見つかり、生まれたと紹介されています。
シーボルトと嬉野の温泉
シーボルトは1823年に来日したドイツ人の医師で、博物学者です。
1826年、シーボルトは長崎街道を旅する途中で嬉野を通り、温泉について記録を残しました。
嬉野市はシーボルトを、嬉野のお湯について早くにデータを集めた人のひとりとして紹介しています。
公衆浴場「シーボルトの湯」と「シーボルトのあし湯」は、どちらもシーボルトにちなんで名付けられました。
大正時代の姿を再現した「シーボルトの湯」
シーボルトの湯は嬉野温泉公園の対岸に建つ、木造2階建ての公衆浴場です。
大正ロマンを感じさせるゴシック風の建物で、オレンジ色のとがった屋根が目印です。
大正時代に建てられた公衆浴場の姿を再現し、2010年4月に「シーボルトの湯」として開館しました。
開館記念日の4月1日は、毎年、大浴場が無料になります。
療養の地としての嬉野
歌人の斎藤茂吉は病気の療養のために嬉野を訪れ、回復したといわれています。
嬉野町岩屋川内には、茂吉が嬉野で詠んだ「わが病やうやく癒えぬと思ふまで嬉野の山秋ふけむとする」の歌碑があります。
新幹線の駅ができた温泉街
2022年9月23日、西九州新幹線の武雄温泉〜長崎間が開業し、嬉野市に初めての鉄道駅として嬉野温泉駅ができました。
嬉野温泉駅からLAPPYへは車で5分です。宿の前までは車で入れないため、近くで降りて歩きます。
出典:嬉野市公式サイト(観光情報・多言語解説・お茶辞典)、佐賀県公式サイト(西九州ルートの経緯)、『日本歴史地名大系』『日本大百科全書』(コトバンク)、嬉野市観光広域マップ「嬉野ぶらりまっぷ」。伝承は伝えられている内容として書いています。